オウム真理教 死刑執行に思うこと
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全員の死刑執行は必要だったのか?
今日(2018.7.26)オウム真理教死刑因全員の死刑が執行されたと報じられた。
何とも言いようのない気持ちだ。
「罪のない人を殺したんだから当たり前だ!」と思う人が大半であろう。
首謀者に関して言えば私も同じ考えだ。
どんなことがあっても罪なき人の命を奪ってはいけない。
しかし洗脳された弟子たちはどうだろう。
最初から人を殺すつもりで麻原(この後はAと書く)の弟子になった訳ではない。
たまたま入ったヨガ道場だったかもしれないし、Aの空中浮遊などを超能力と信じ不思議な力に興味をもって門を叩いたものもいるだろう。
Aが殺人を首謀するものと思って入った者はいないはずだ。
私は今回死刑因となった者たちとは同世代なので数々のオウムの報道を見てきた。
まさか当時殺人軍団とは思っていなかった。
衆院総選挙に出馬した時の選挙活動は奇抜な歌と踊りで不気味なものは感じていたがその裏で罪なき人たちを亡き者にしていたとは思っていなかった。
弟子たちの中でもその悪事に気が付き殺人を犯したくなく脱退を試みた者、逃げた者は何人も殺されている。ポアという都合のいい言葉で。
それは「裏切るとおまえたちもこうなるぞ」との見せしめだったかもしれない。
最初は「人を救済する」という表看板を信じ入信した者もだんだんAの偏った思想に染まっていった。
そして辞められなくなった者、マインドコントロールされた者たちは
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次々と殺人者たちになってしまった。
A自身は手を染めずに。
私が危惧することは
それまで普通に平凡に暮らしていた人が何かの小さなきっかけで殺人者になるという恐怖だ。
現在も行き場がなく悩み、苦しんでいる若者は沢山いる。
そのちょっとした心の隙間に入り込むかもしれないAと同じような偏った思想を持った者もいるだろう。
または別の手段で心の隙に入り込むかもしれない。
オウム真理教の事件を他人事を考えてはいないだろうか。
殺人を犯した者の死刑は当たり前なんだろうか。
将来は
あなたの子供、孫が洗脳され、事件の片棒を担ぎ、殺人を犯し、今回のような死刑因になるかもしれない…と思うことは出来ないであろうか。
殺人は絶対にいけないことで死刑制度を反対している訳ではない。
でも、自分の犯した罪を反省し、改心し、事件の真相に究明、協力するのであれば死刑執行はしてほしくなかった。
今後このような事件が起こらないように全てを解明して
偏った思想に傾倒しない力を若者につけることに協力してもらいたかった。
残りの人生は人のために尽力させてほしかった…
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