初めての出産が…悪魔の助産師のせいで悲劇の出産に…/看護とは何か?
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元旦に息子誕生!喜びのはずが…悲劇の出産(≧◇≦)
精神科ナースここあんです。
今日はここあんの長男を出産した時に出会った悪魔のような助産師のお話をしたいと思います。
その数十年後、私はナースとなるのですが、ナースとして良いことも悪いこともこの入院で学ぶことになりました。
1月1日陣痛始まる!
予定日は12月24日でしたが「24日クリスマスイブに出てこなかったから元旦に生まれればいいね」なんて旦那と話をしてました。
そして12月31日紅白歌合戦が終わり、「ついに今年この子はお腹から出てこなかったね」とお腹をさすりながら会話し、
除夜の鐘が鳴り、年も明け、さあ寝ようかと床について暫くして「ん?お腹が痛くなってきた。これって陣痛かな?もしかして元旦に生まれるの?それって出来すぎでしょ」と笑いながら話して1時ごろ就寝(-_-)zzz
この後、悲劇の元旦出産になると思いもせず…(怖)
その2時間後だんだん陣痛間隔が短くなり、痛さも増してきた。でも旦那を起こしては申し訳ないと一人別部屋へ移動し、こたつの温かさと呼吸法で何とか波のように襲い来る痛みに耐えていた。しかし我慢も限界になった4時ごろ、やっとの思いで産科に連絡をする。
悪魔の助産師 登場!
電話に出たナースに「陣痛の間隔時間は?」と聞かれ「2~3分置きです」と答えるとそのナースは「ん~来てもいいけど…。すぐには生まれないわよ」と言うので「明け方行きます」と伝えた。
初めてのお産なのでどうしていいかもわからず、うちで痛みに耐え我慢&我慢。吐き気っぽい、うっ、GE~年越しそばが出た…(すみません💦)う~気持ち悪い、お腹の痛みは更に波のように襲ってくる…
でも、あのナースは「まだ来るな」みたいな返事だったし…。
朝7時まで何とかもたせて、旦那に車で産科に連れて行ってもらった。近くに住む義母も心配してついて来てくれた。
やっと二人に抱えられるように産科の2階に階段で登って行ったら、先ほど電話に出たナースが私たちを見て「あら、来る前に電話してほしかったわね」と冷たい言葉。
(そんなこと言ってなかったじゃない。こんな時に…)と悲しく思いながらも陣痛室へ歩く。
「電話しないで来たから、朝食は出ないわよ」と言われ(そんな食べる気分じゃないのに…)と思いながらも旦那が朝食を買いに行ってくれた。
もちろん食べられなかったが….。
この対応したナースこそ私にとって悪魔のようなA助産師だったのです。
その後、分娩用の白いガウンを着せられて、めちゃくちゃデカいシリンジ(針のついてない注射器)に入った浣腸液を持ってきて「さあ、浣腸するわよ」って。
(そんなこと聞いてないよ~)
陣痛でこんなにお腹が痛いのに何で浣腸するの?便が赤ちゃんに付いたら不潔だからって言ってたっけ?忘れたけど…。それにしても辛いよ~。
しかし容赦なく浣腸されその後はトイレの中で下剤による痛みと陣痛とがWに襲ってきて苦しくて、辛くて、それでもスッキリと出ず、30分くらい苦しんでいたらA助産師が「いつまで入ってるの?途中でもいいから出てきなさい。家族の方に帰ってもらうから。後ですればいいんだから」と言っている。
そんな…「まだ残BEN感があって出られません」と答えてるのに何度も出るように催促をしてくる。仕方なくトイレから出て旦那と義母に挨拶をして帰ってもらう。
でもこんな時、家族に会うこと必要?排BEN中止までさせて…。
その後も陣痛がMAXに襲ってきて、トイレにも戻ることが出来ず、陣痛室のベッドへやっとこ上がった。
(痛い、りきみたい…捕まるものがほしい)と近くにあった点滴のスタンドに捕まるとう~んう~んと子宮収縮の痛さでお腹に力が入ってしまう。あーBENが~。
でも汚いとか気にしてられないほど痛い、もう生まれるんじゃないのかと思うほど痛いのにナースたちに放っとかれる(涙)
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しばらくしてA助産師が来て、「あら、点滴スタンドに捕まっちゃダメでしょ」と私の手から点滴スタンドを奪う。
そして汚染されたシーツとガウンを見て「あー汚して…何やってるの。もうダメみたいね。さっ分娩台に行って」と汚れたガウンは脱がされ、私は裸のまま、バスタオルも掛けてもらえずの分娩室まで歩いて行かされた。
超恥ずかしかったけど、そんな訴えも出来ず。どんなにつらく悲しい状況だったか…
初めてのお産で何も分からず、ここで頼るのは助産師だけなのに…。
分娩台にもやっとこ上がった。
これでやっといきめる。う~んう~ん(いきんでる声)。しかしそんな時も「声をださないで!」と怒られた。
だけど声を出さずにはいられないのに。この助産師はいつもこんな対応を取るのだろうか?あり得ない…と本当に悲しかった。
その後は当直(夜勤)が明けたからか、いつの間にかA助産師から別の助産師に替わっていた。
息子誕生!
分娩台に上がってからは7回ほどいきんで息子が生まれた。
初産でこんなに早く生まれるのはあまりないようで医師は意外と感じたようで「え、もう生まれるの?」と驚いていた。
(そりゃそうでしょうよ。A助産師にさんざん待たされ我慢させられたんだから!)と言いたかった。
そして生まれてきたちっちゃな息子が胸の上に乗せられる。
最初に思ったことは「これが痛みの元か~」と…あまりも辛い痛みとA助産師の対応に感動することも出来なかった(悲)
幸せなはずの初めての出産が台無しになったあの日のことはずっと忘れられない…。
天使の助産師さん現る
しかし、そのあとに関わってくれたM助産師の心ある看護に救われ、我が子も次第に「かわいい」と思えるようになった。
天使のようなM助産師は苦しかったこと、辛かったことを自分のことのように聴いてくれ、さまざまな自分の体験話もしてくれた。
あの悪魔のことを思うとMさんの言葉が嬉しくて、看護とは本来こういうものなんだろうと思った。最初からこの助産師さんに会っていたら…と思った。
あの悲劇の出産から6年後、そして意外な言葉に…
三男を出産した時、まだA助産師はその産科にいた。
その時の出産には立ち会わなかったけど、私のことを覚えていて、
「あなた元旦に生んだ人だよね。あの時、年末年始は夜勤やりたくなくて、『今夜は誰も来ないで』と思っていたらあなたが来てしまったので、つい当たってしまったの。ごめんなさいね」と言われた。
A助産師は幼い自分の子供と一緒に年末年始を迎えたかったそうだ。
その時のA助産師はあの時とは別人のように優しいお母さんの顔をしていた(*_*;
『だからって勤務を決めたのは私じゃないのに!』と思った。
ナースになったとき、この辛い経験を踏み台にし、患者さんの気持ちを尊重する看護を大切にしようと思いました。
ここあんより一言【自分の辛い経験は人のために…】
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