人生の転機/人生の選択/うつ、いじめ、どん底・・・いろいろあった看護師になるまでの話

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あなたはどんな人生を辿ってきましたか?

こんにちは。精神科ナースのここあんです(*^^*)

人生とは不思議なものである日突然転機が訪れることってありませんか?

私がナースになったキッカケはいろんな偶然が重なったことで導かれるようにこの世界に入ったという感じでした。

でも、きっとこの道にたどり着くまでにいろんな経験をしてきて、ナースになるための準備が整えられていたのかな~と思うことが多々あります。

美容師になるの?私…

もともとは母が美容師としてお店を経営していたので、漠然と跡を継ぐのかな~と思っていました。

母や父も私が跡を継ぐと思っていたでしょう。

高校2年生の終わりころ、通信教育で美容師になるために勉強し始めました。親からそろそろ始めるようにと言われたからです。

夏休みにスクーリングを受けに行って、国家試験に必要な技術も練習もしました。

フィンガーウェーブという髪形をウイッグを使って作るのですが、何度やってもうまくいきません💦

パーマもきれいに巻くことが出来ず、「私って美容師の才能ないかも…」と思い始めたら、練習も苦痛になってきました。

よく考えると美容師としてのセンスもないし、何で美容師になるんだろう?

親が美容師だからって子供も美容師にならなくてはならないんだろうか?

と思えば思うほど美容師になることに対する疑問が湧いてきて、学科までは終了しましたが、1年間義務付けられていたインターン(美容室で働くこと)はやらず高校の推薦で銀行に就職を決めてしまいました。

 

 

銀行へ就職しました

父は美容師にならないことに反対しましたが、母は「自分で決めたならそれでいい、自分の好きな道に行きなさい」と言ったのでした。

母の方が反対すると思っていたので意外でした。

時はバブル期で、比較的就職のしやすい時代でした。しっかり、勉強するればそこそこの会社に入れるような時代でした。

今なら私くらいの学力だったら銀行に入れなかったかもしれません(^^;

銀行と言っても本部だったので、定時で始まり、定時で終わるという理想的な生活でした。

タイプ部だったのでお金勘定とは無縁の銀行員でしたが…。当時はワープロが出てきたころで学校にも通わせてもらいタイピング、機械操作も教えてもらい、ラッキーな就職でした。

 

 

演劇の道へ

当時、土曜日は休みではありませんでしたが、日曜日には以前からやりたかった演劇レッスンを始めることが出来ました。

何年か後には小舞台に立ち、仲間たちと作る芝居に生きがいを感じ、5年後には銀行を退社し、芝居に打ち込んでいました。

女優になることを夢見て(笑)

余談ですが、ちょこっとテレビに出たことあります。

更に余談ですが、ワンシーンですが沢田研二さんとの共演も決まっていたんです。

しかしイメージが合わないと番組制作者側から言われたようで仲間の方に役が回ってしまってガッカリした経験もあります(苦笑)

美容師にならないで良かったと思いました。美容師になっていたらこんな青春のような日々はなかったからです。

大勢の人の前で演じることで人前であがることが殆どなくなりました。これも自分にとって成長に繋がったなと思います。

そんな中、演劇仲間の先輩の男性が田舎に帰るということで「最後にデートしない?」と誘われ、

「田舎に帰る前に付き合ってあげるかぁ」とちょっと上から目線で付き合ったことが人生の転機になるとは…その時は思っていませんでした。

まさかの結婚へ

デートが終わり、「じゃー、田舎に帰ってからも元気でね。」と言ってバイバイするつもりだったのに、「一緒に行かない?」と….

「え?それってプロポーズ?」「うん」「…私、都会育ちだから田舎は無理だと思う」「じゃ、俺がこっちに来てもいいよ」「そうなの?」

一年くらい遠距離でお付き合いをした結果、女優になる夢をあっさり捨て結婚を決意。(そんな大げさなことではありませんが..)

都会に住むつもりでいましたが当時はバブル時代だったのでアパートでさえ家賃が高くて、家庭を持っての生活は楽ではないと容易に推測出来たため、家賃の安い田舎に行くことを決意しました。

人生の設計にはなかったけど田舎に嫁ぐことに。本当は都会にいたかったし、母も泣いて田舎にいくことを反対しましたが、旦那に付いて行くという選択をした訳です。

思いのほか旦那のお母さんがとても優しくいつも気にしていてくれたので居心地は良かったです。

同居ではありませんが、近くに住んでいたので寄ったり、寄ってくれたりで寂しさもあまり感じなかったのもありがたかったです。

そして1年後長男出産、2年半後次男出産、4年後三男出産と3兄弟の母になりました。

これも人生設計にはなく、絶対女の子が生まれてくると信じていました。

女の子を育てられない寂しさもありましたが、さすがに4人目にも男の子が生まれたらキツイと思いここでストップしました。

子育ては山あり谷あり、いろんなことがありました。

特に長男はアトピー性皮膚炎、アレルギー性鼻炎、肺炎、起立性調節障害など病弱体質。

お医者様にとてもお世話になりまくりました(*_*;

子育てしながら仕事復活

三男が保育園の頃、生命保険のおばちゃんに誘われ、保険屋のおばちゃんになりました。

しかし、これこそ自分の苦手な勧誘が仕事。おしゃべりが苦手なのにアポを取るだけでもドキドキ。ストレス溜まって半年後に退社。

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次にスーパーの精肉部でパートで勤めるけど、係長のいじめに遭い、うつ状態に…。

日々のいじめに耐え続け1年半勤めましたが、あばら骨がはっきりわかるほど激やせしてしまいました。

辞めるにも何の資格もない私に次の仕事はあるのか悩み、今日も係長と会うのかと思うと、吐き気が…の毎日。

しかしたまたま新聞の広告で見た病院の売店の募集に応募し、40名の中から採用してもらいいじめ環境から脱出することが出来ました。

売店の仕事は、お客さんに来ていただくので、勧誘することもなく、いじわるな上司もいなくて、発注も自分で考えて出来るので楽しく仕事をさせてもらい、「やっと自分の合っている仕事見つかった。定年まで勤めるぞー!」と思っていました。7年楽しく仕事をさせてもらいました。

リーマンショックがなければ、、、今も病院の売店販売員でした。

リーマンショックがさらなる転機に…

リーマンショックでたくさんの人の人生が変わったことでしょう。

あの事件以降、仕事を失った人は多く、家を売らなくてはならなかった人、うつ病になった人、自死を選んでしまった人など沢山の人がどん底に落とされました。

 

影響を受けなかった職種もあったかもしれませんがどれだけ多くの人が苦しんだかしれません。

これを読んでいる方にも心当たりの方がある方もいるでしょう。

うちの旦那の職場もいったん閉店し、正社員をなくし皆パート扱いになってしまったのです。

家も買ってローンもまだまだ残っているのに…三人の子供たちを抱えてどうやって生きていくのだろうと考え….またうつ状態になってしまいました。

先のことを考えると不安で不安で…。

でも家は売りたくない。子供たちことはどうしよう….と心配しすぎて、食欲もなくなり、日に日に痩せていきました。

「死んだらラクになるかも…」とまで追い詰められました。

笑うこともなくなり、売店で働いていても心配と不安で心ここにあらず状態でした。

その時…救世主が現れたのです。

救世主とは…

病院で働いている看護助手のKさんです。Kさんは売店に患者さんを連れて買い物に来ていました。

Kさん「何かここあんさん、痩せたね。どうしたの?」

ここあん「わかりますか?」

Kさん「うん。わかるよ。痩せたよ。何かあったの?」

ここあん「ええ、ありましたが..」

Kさん「聴くよ。でも、今は患者さん連れてきてるからまた今度ね」

ここあん「はい。待ってるね。」

という会話を交わしました。

売店で一緒に働いているYさんは全然私が痩せたことに気が付いていないのに凄いなと思いました。でもきっと再び聴きに来てくれることはないだろうとも思ってました。

しかし、1週間後、彼女は私の話を聴きに来てくれたのです。

凄く嬉しかったです。

短い時間ながらも苦しい胸をうちを話すと彼女は「そうなんだ。それはきつかったね。売店ではお給料安いだろうからこっちに来なよ」と病院で働くことを勧めてくれました。看護助手なら最長8時間働ける。4時間のパートよりはいいかも。その言葉を励みに院長婦人(経営者)にお願いしてみると「看護助手はたくさんいるからいらない。看護師になりなよ。応援するから」と言われました。40代も後半に差し掛かっていたので「無理ですよ。こんな年で…」「大丈夫だよ。60歳でもやってる人いるから」「え、60歳でも」「そうだよ。やってみなよ」と力強い言葉に励まされ、「出来るかわからないけどもう頑張るしかない」と思い、看護師への門が開いたのでした。

今、看護師として働いていることが不思議でなりません。

本当に何かに導かれ、思ってもない道に辿りつき、まだまだ半人前ですが、天職に出会った気がします。

全てが繋がっている

美容師になりかけたことで患者さんのシャンプー、カットが出来ること、銀行でタイプを習わせともらったことで電子カルテを使えていること、演劇をやってたことで大勢の人の前でもあがらないこと、精肉部の係長のいじめは看護師になってからいじめられた時にあの時よりマシと思えたこと、生命保険をやっていたことで保険に対する知識が増えたこと、リーマンショックがあったことで人の苦しみが痛いほど理解できたこと、息子が病弱であったことは医療の大切さ、有難さを感じることが出来たこと等々、全てが今の仕事に繋がっています。

どんな出来事も仕事もプラスに転換することが出来ます。

とは言っても私もこの先また何らかの岐路に遭遇することでしょう。

マイナスな心を持ってしまうこともあるでしょう。

生きるとはそういうものですね。

 

人生いろいろ、皆さんの人生もこれからどういった転機が訪れるんでしょうか?

 

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